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中野通信

不器用な文章でもいいかなー?いいともー!!

我が道をどこまで進めるか

今の私の頭の中は、為末大さんの書いた「諦める力」という本と、今夜行われたM-1グランプリの怒涛の二時間半の映像の記憶である。どちらもとても興味深くて、楽しかったけど、ちょっと集中しすぎて疲れている。というわけで、インプットばかりだとスッキリしないので、アウトプットします。最近の気づきや、興味をどうぞ。


1.自分の教養を他人に教えること
私は北上市で毎日のように会っている友人がいる。どうせ会うなら面白いと思える時間にしたいと思っている。どちらかの家で会って、椅子に座って話すのは当たり前だが、物足りなくなってきた私は、彼にペンと紙を渡し、何を悩んでいるかや、本当は何がしたいのか?など書いてもらった。そしたら、内容はともかく、紙一面に平仮名で、彼は漢字が全然書けなかった。彼は「何年も文字を書いていない」と言う。それに驚いたのだった。他にも、パソコンを覚えたい欲があるみたいなので、私のパソコンをいじらせたが、「ん」をキーボード入力できないと言う。私は「nを二回だよ」と言った。このように私が当たり前としてわかっていることも、わからない、出来ないことがあることに気付くが、それを知った時に、解決しようと教えようとする自分に少しの楽しさを感じることがある。いつも反省するのが、出来ない人にキツイ言葉を使ってしまう時があるので、優しく教えるのが理想だということ。人と人が学び合うとはこういう所から始まるんだと思う。

 

2.何に喜びを得る??
前述した通り、他人に教えると言う行為をした時に喜びを得る自分がいる。というか、教えを乞うというのが苦手な自分がいて、素直に聞けない自分がいる。ここは、反省点だ。一番好きな状態は「対等」な時。一番リラックスして、学ぶことが出来る自分がいる。「対等」な状態を意識して過ごせば、ストレスなく暮らせるのではないか、と思った。自分の中で「対等」が「喜び」の要素になっているんだろう。


3.自分が勝てる種目はどこか
話は変わるが、たまに私は、人生を試合放棄している(ような気持ちになる)。それはちょっと大袈裟かもしれないが「このままでいいや」とか「どうにでもなれ」と思う時が割とある。所謂、人生をより良いものにする!素敵なものにする!という気持ちから外れた考えをすることがある。たぶん、それは、どこかで石ころにつまづいたりしたことが、たまに想い出されて、「このまま寝転がっているのも悪くない」という考えに行きつくんだと思う。しかし、それを奮い立たせ、自分にでも勝てる種目(人生の生き方)はないかと考えようとする自分もいるのも確かなんだ。

 

4.我が道をどこまで進めるか
今思えば、無理して暮らしていた時期が数年あった。給料を気にし、世間体(周りの目)を気にしていた頃。それに比べ今は、自分のペースで親を頼って暮らしている。失ったものもあるけれど、得たものもたくさんあるから面白い。前者と後者で、関わる人も変わった。もちろん、継続して繋がっている人もいる。この変化はなんだろう。でも、まだ自分の「これだ!」という生き方には辿り着いていないのが、本音だ。今は、悪くはないけど、最高でもない。そんな感じだ。それがいい、その方がいいとも取れるけど。「我が道」をゆっくりでもいいから歩んでいきたいと思った。

 

5.これからどうする??
2015年ももうすぐ終わる。28歳ももうすぐ終わる。今日のブログは集中疲れしたのか、いつもより書き進めるのに、時間がかかった。ここ何年かで辿り着いた考え方の一つに「私が見ている他の人の姿は、ほんの一面に過ぎないこと、なんか良い感じだなぁって見える人だって、どんな辛い過去や悲しみを抱いているかわからないこと、長い人生を生きていれば、人間誰しも一筋縄ではいかない過去を持っていること、それを私が知らないだけ」というのがある。今日も、ある人の知らなかった話をある人から聞いた。みんな、胸に色んな思いを抱えて生きているんだ。私も、ゆっくりでいいから生き続けようと思った。