中野通信

ささいなことに幸せを。

東京生活に憧れて3回も住んだのに、何度も岩手に戻ってきて、まだ東京に憧れている話。

序章

大学一年生の後期、私は東京に行きたくて仕方がなかった。大学を辞めて東京に行こうと思った。歌を本気で頑張ろう!と思ったのが発端なのだが、その頑張る場所を「東京」としたかったのだ。結局、周りの意見などで、自分の本気度が怪しくなって、岩手に残ることにした。そして、岩手で音楽活動を頑張ろう!と決めて、大学時代は岩手で過ごした。

 

1回目の上京(2009年春)

大学を晴れて卒業した私は、東京に本社がある会社に就職した。だが、職場となった場所は茨城県だった。しかし、私にとっては、初めての関東圏。電車で都内まで行ける所に住めた事に、夢は近づいたと思った。茨城県だけど、上京みたいなもんだと思っている。音楽活動は活発ではなかったが、東京近郊に何度も足を運び、東京の空気を味わった。原宿を歩いてたら芸能人に会えたりして、とても嬉しかったのを覚えている。こうえんずの相方の菅原さんと高円寺で路上ライブをしたりして、とても楽しかったのを覚えている。しかし、会社で働くことに疑問を感じて、会社を辞めてしまう。アパートも引き払った私は、岩手へ戻った。2010年の夏だった。

 

2回目の上京(2010年秋)

会社を辞めた私は、車での日本一周の一人旅にチャレンジした。結果、寂しさを強く感じて僅か1ヶ月で終わってしまい、人は1人では寂しくて生きていけないと悟った瞬間でもあった。岩手にいた私は、東京に住む菅原さんとやりとりし、ルームシェアをすると決めたのきっかけに2回目の上京をする。そして、菅原さんの勤めていた会社に就職し、生活費を稼いで生きる道を選んだ。しかし、ここでも壁にぶつかる。給料は良かったものの、仕事に追われ、休みの日もろくにエンジョイできないぐらい疲れ果てているという日々を送る。せっかく東京の高円寺に住んでいるのに、遊びもほとんどしない。休みの日も仕事のことを想い出し、休みを楽しめない。そんな1年間を暮らし、ストレスを溜めていたんだと思う。そして、そんなある日、ストレスが爆発し、精神的な病にかかり、岩手へ強制送還し、岩手の病院に2ヶ月入院するという結果になってしまった。また岩手に戻った。(2011年冬)


3回目の上京(2014年初夏)

病気をして自信を無くした私は、住んでいたアパートも引き払ってまた岩手での生活をしていた。しかし、一度、負けてしまった(病気になった)街「東京」を忘れられずにいた。この頃は、岩手での生活もどこか上の空だった。もう一度、東京で闘いたい。そんなことを想っていたが、両親の大反対により、3年ぐらいは岩手で大人しくしていた。しかし、東京への憧れは消えなかった。テレビを見ると、いつも東京の町並みが映る。有名人が東京のことを話している。田舎にないものが東京にあるんじゃないかと思ってしまう。岩手で自分の道を歩こうと思っても、東京に住んで生活する自分を想像してしまう。そんな日々だった。そして、母親に何度も言ううちに、なんとかOKがでて、2014年初夏に横浜に住むことを決めた。(横浜だけど、私にしてみたら上京なのです。)そして、東京の病院でリハビリをして、こうえんずの菅原さんとライブ活動も今までで一番して、約1年ほど横浜で暮らした。しかし、今度は、アパートの家賃とか生活費をまかなえるほど稼いでなくて、両親に甘えてばかりもいれず、かといって、東京でそれに見合うだけ稼げなかったので、岩手へ帰った。(2015年秋)

 

最終章

そして、また私は岩手で暮らしているわけなんだけど、今でも東京の刺激を欲しています。無い物ねだりなのでしょうか。東京に行けば、夢へ近づける気がする。都会の空気を吸うと、生きていると実感できる。しかし、最近思うのは、年をとるごとに、焦りはなくなってきたということ。20代前半の時は、とにかく体力があったから、あれがしたい、これがしたいと、動き回っていたけど、それが30に近づいてきて「ゆっくりいこう」みたいな気持ちもわかるな~と思えるようになった。「東京に住みたい気持ちもあるけど、焦ってはないよ!」みたいな感覚だ。私は東京に何を求めていたんだろう。探していたんだろう。結論はまだ出ない。そんなことを振り返って、今日のブログを終わりにします。