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中野通信

不器用な文章でもいいかなー?いいともー!!

安楽死について

プロフェッショナル仕事の流儀を見た。ひどく感動した。食事介助のプロフェッショナルだった。医療の現場で真摯に働く姿に胸を打たれた。オレは、昔、介護の現場で、食事介助をしていた。あの頃のオレは何だったんだろうか。仕事の姿勢の違いに、自分があまりにも何も考えないでやっていたんだなと、オレに人を思いやる気持ちや、相手の立場に立った行動の少なさなど、自分には超えられない壁があったんだな、と思った。医療の現場の映像を見て、たくさんの老人の姿を見て、老人に囲まれて過ごした時代を思い出した。

 

29歳になって、少しずつ感じる老い。動けなくなっていく身体。このまま、一年一年と時間が過ぎ、老いて死ぬのか。病気で死ぬのか。災害や事故で死ぬのか。どうなるのだろう、と思う。割とそんなことを考える時間は多い。

 

「死にたい」という言葉が口癖の友人がいる。深く関わるまで時間はかかったが、当初は、冗談かな、とか、よく分からなかった。そんな人が回りにいなかったからだ。その友人と「死にたいなんて言わないで」というライブタイトルをつけ、一緒にライブをしたりした。その頃から心の闇とか、マイナスな部分とか、そういうものを考えるようになった。それまでの人生は、前向きとか、希望とか、そんなことをテーマに生きていた自分がいて、でも、そんな自分に息詰まっていた時期でもあったんだと思う。新しい突破口を探していた。その友人といる時間が増えた。

 

ほどなくして、私はストレスなどで統合失調症になった。統合失調症の妄想で、オレは、天国に行ったような快楽を味わう経験をした。その後、薬で落ち着いて、実家で働かないで療養する期間が半年ほど出来た。その頃だった。自分は、何もしてなくて、家族以外の何にも所属していなくて、社会不適合者だと感じ、急に社会に対して置いてけぼり感を感じた。

 

その時、初めて「消えたい」と思った。この「消えたい」は、あの友人の言っていた「死にたい」に近いんじゃないか、と思った。「消えたい気持ち」はわかると思った。これは、誰も知らない場所に行きたいというか、自分の存在を忘れさせたいというか、そんな感覚だったんじゃないか。

 

苦痛について、考える。楽しさを考える。出来れば苦痛がない方がいいが、そんなものは、この世に存在しないのかな、と感じている。筋トレだって、やっている最中苦しいからこそ、終わった後すっきりしたり。苦痛と楽しさは表裏一体なのかな、と思ったりする。

 

「死」だってそうだ。死ぬ瞬間を考える。毎日、テレビで流れる事故などのニュースを見ては、死ぬ瞬間、痛かっただろうな、とすごく思っちゃう。

 

そんな時、「安楽死」というものを知った。あまり調べてないけど、名前が素晴らしすぎないか。死ぬ瞬間痛くないのだろうか。

 

たまに、ネットで流れてくるニュースでは、海外の病院で安楽死をしたとかだ。日本では、まだ、できないのか。身体を動かすのが大変そうで、生命力が小さくなっている老人をたくさん見てきていつも疑問だったのは、それでも長く生きるのは、なぜだろうということだった。管に繋がれて生きている姿を見て、言葉がでてこなかった。

 

確かに、一日でも、一週間でも長く生きれば、一日に一つか二つは楽しいことがあるとして、それを感じるために長生きはした方がいいのだろうか。でも、それが苦痛の方が多い時間を過ごすなら、安楽死もあっていいんじゃないか、と思う。

 

生きるとは何なのか。

死とは何なのか。

オレには、まだよくわからない。