中野通信

ささいなことに幸せを。

あんまり何もしていない

足をくじいてから、一日2500歩ほどしか歩かなくなった。くじいてから一週間ほど。まだ、本調子ではない。それに加え、外がものすごく寒くて、車で移動する回数が増えた。8000歩ほど歩くぐらいの日のが、前まではあったが、最近はぜんぜんだ。ちなみに、富士山を登った時は、3万歩だった。歩いていないからか、心身にも影響が出始めた。どこか虚しさがある。明日から、寒くても歩こう。動かないで、考えてばかりでは、暗い方向に考えてしまう。日が暮れるのも早くなって、曇り空も多い気がして、鬱々とした気分になる。さぁ、明るいことを考えて、意味もなく、踊ったりして、スキップして、ケーキでも食べよう。そうしよう。では、ブログ更新です。

 

あんまり何もしていない

ふと思った。僕は、あんまり何もしていない。いや、しているんだけど、していない方な気がする。料理も作らない。掃除もたまにしかしない。洗濯もしていない。家の鍵も持っていない。買い物もほとんどしない。車の運転もほとんどしない。テレビもほとんど見ない。なぜ、このような生活かというと代わりに、一緒に住んでいる両親がやっている。ところで、どんどん所有物を減らそうとしている。所有物は、本、CD、楽器、服、スマホ、パソコン、家具、お金、思い出など。なんだか、持っている物がありすぎて、息苦しい。何もしていないというか、何もない状態にしたい。何もないは言い過ぎか。必要最低限の物に囲まれて、生活したい。まだまだ、重りが重くて、身軽とは言えないのが現状なのではないか。昔は、失うことを恐れた。手に入れることに価値を置いていた。でも、今は、そこまで手に入れようと思わない。削って削って磨いていきたいと思うこの頃だ。人より、何もしていない気がする。フリーな時間が多い。この頃は、一日の流れがほぼ決まっている。習慣というやつだ。もっと、やっていて価値があると思うことに集中して、暮らしていきたいと思っている。

 

まとめ

とは、いえ学童保育所に行くと、いろいろやる。掃除もするし、包丁を使う時もあるし、計算をする時もあるし、ペンで紙に書く時もある。そういう面で、仕事というのは、自分の力量を超えることを、たまに「やってくれ」と何気なく要求されるので、なかなかチャレンジングな場だと思う。家にいるだけじゃ味わえない感情を、職場は教えてくれる。今、思えば、仕事とはチャレンジの連続であった。自分のレベルを超えることを試され、失敗し凹むというのもあったなぁ。何もしていない状態を許される仕事は、ないのかもしれない。だからこそ、仕事以外の時間に、何もしていないと思う自分を許そう。何もしないからこそ、気づくことはあるのだろうか。無の境地だろう。何かしたくなったり、やっぱりしたくないと思ったり、その繰り返しなのだろう。そんなことを今日は、書いてみた。おわり。