中野通信

ささいなことに幸せを。

私は、中野寛人を生きたい。

今日の学童保育所は、新春ゲーム大会。子ども達は、一生懸命勝負していました。ほどよい良い気分で、仕事を終え、夕食を食べる。そして、三連休が始まります。とても良い流れです。職場でたくさんの気づきをくれるT先生と話し、いろいろ閃いたことを文章にしてみたいと思います。では、ブログ更新です。f:id:nakahiro28:20170106192707j:image

先生というのは、自分が商品なんだ

私は、昔から肩書に弱い。リーダーというだけで、その人が違って見えるし、社長というだけで、スゴイと思ってしまう。そんな感じで、小学校でも中学校でも高校でも大学でも、先生というだけで、尊敬の対象であった。たぶんだからこそ、自然と学校という環境が好きで、大学生まで、良い感じで生きていた。もちろん辛いこともあったけど、それを含めて良い思い出が残る学校生活を送った。しかし、社会人になってから、私は結構つまづいた。それは、お金を払ってでもいく学校と、お金を稼ぐためにする仕事場では、行動が同じままで通用しないのは、もちろんだと思うけど、それ以前に、会社で働くという本質をわかっていなかったんだと思う。なんかまだうまく言葉に出来ないな。学生気分が抜けないとか、能動的でなく受動的なままだったとか、もらう側でなく与える側になれなかったとか、いろいろあるんだろう。そして、何よりも自分は、この場所にいる必要はあるのか?とか、一緒に働いている人を尊敬できないとか、上司の言うことを受け入れられないとか、こんな仕事したくないとか色々と不純な気持ちが混ざっていたように思う。それで、19回ほど職場を変えて、あーでもない、こーでもないと29歳まで生きてきたが、やっと、少し自分の生き方にフィットする職場を見つけられたように思う。それが学童保育所だった。もちろん年をとり、外へ外へ行きたい願望が減ってきたり、落ち着き始めたのも大きな要因かもしれない。自由志向から、安定志向に変わりつつあるのかもしれない。それも相まって、北上市で実家に暮らしながら、同じ職場で一年間続けれるという成果を作ることができた。でも、ふと思った。職を始めては、半年とかですぐ仕事を辞めていた私だが、年をとったおかげで、一年間の進むスピードが速く感じるようになり、一年が長いという感覚から、短いという感覚に思えるようになったから、長く続けられるようになったと思えているだけかもしれない。そして、何よりも私が、先生という肩書きを気に入っている。先生という肩書きを失うのが惜しいとさえ思っているので、続けられている気がする。そして、興味のない商品を売ったりした経験を通して、悟った考え方の一つで、自分が本当に好きな物を売ろうと思うようになった。それは、僕にとって、どこかの会社が作った製品よりも、自分が一番売りたいものは自分だった。学童保育所では、子ども達と関わりは、全て自分自身。自分が商品みたいなもんだ。自分が好かれるほど嬉しいことはないように思うし、何でも全部自分に帰ってくる。だからこそ、自分を出して、自分の魅力を信じ、子ども達と接していきたい。

私は、中野寛人を生きたい(まとめ)

今やっている活動のもう一つは、シンガーソングライターとして自分が作った歌を歌ったり、自分のオリジナルアルバムを販売している。これも、中野寛人という存在をアピールしていることになる。先生として働く学童保育所と私の中では、近い活動になっている。どちらも、自分で、勝負している。大学生だった20歳ごろに、就職活動をしていた時にかなり悩んだすえに「福利厚生」という歌が出来た。その中の歌詞に「組織の柵か、孤独の寂しさか、どちらを取るか悩む僕がいるよ」と歌った。そして、私は、組織を選んだのだが、今現在になって、孤独を選択したいと思った。しかも、孤独は寂しいものだと解釈していたが、今は、その考え方も少し違う。組織に加わらなくても、寂しくない。自分は本当の一人(孤独)ではないんだと、家族と暮らす実家生活を通して思うようになった。なので、中野寛人を全身で表現して生きていきたいし、自分の可能性をもう一度信じたい。シンガーソングライターとしても、先生としても、もっと、自分に出来ることを模索し、レベルアップしていきたいと思います。みなさん、よろしくお願いします!!では、また!!