中野通信

ささいなことに幸せを。

それは、ひろと先生と遊びたいってことじゃない?

こんばんは。中野寛人です。今日も学童保育所で働いてきました。ちょっと整理します。では、ブログ更新です。

それは、ひろと先生と遊びたいってことじゃない?

学童保育所でありがちな場面として、少し関係値が出来た子どもの中で僕を蹴ってきたり殴ってきたりすることだ。そのことをとT先生に相談したら「それは、ひろと先生と遊びたいってことじゃない?」と言われた。そうだったのか。可愛い女の子がしてきた場合、「可愛い〇〇ちゃんが、蹴るなんて似合わないよ。遊んであげるよ!」と言えばいいんじゃないかと諭された。なるほど。俺と遊びたかったのか。でも、何をすればいいんだろう。

どんな遊びが相手は喜ぶんだろう?

自分に何か話しかけてきたり、叩いてきたり、甘えてきたりしてきた時は、全てが何かしらの合図だ。どんな返しをすれば、相手は喜ぶのだろうか。どんな言葉が、どんなふ触れ合いが、相手の琴線に触れるのだろう。僕は、遊びが不得意なのかもしれない。誰かと関係を持つ時、相手とどんな時間を共有すれば、お互いにとって良い時間だと思えるのだろう。それが、遊びなのか、語り合いなのか、ゲームなのか、じゃれ合いなのか、いやそれ以前にもっと根っこの部分で気持ちを分かち合うそんな関わり方が僕には出来るだろうか。

全てはメッセージだ(終わりに)

目の前に人が現れた時にする挨拶も。買い物して店員さんにお金を支払う時も。逆に、自分の物を相手に買ってもらう時も。メールも。LINEも。ブログも。SNSも。電話も。手紙も。褒められている時も、怒られている時も。ご飯を一緒に食べている時も。全て、相手が存在する出来事において、相手と良い関係を築くためには、何が出来るだろう。関わる時に、何かしら発せられるメッセージを逃さないようにしたい。学童保育所では、一回仕事に行けば、小さな会話から始まり、様々な「与える、受け取る」行為が起きる。その時々で、僕は何が出来るだろう。どんな表現の仕方で、向き合う人と関われるだろう。もうちょっと模索して行きたい。おわり。