中野通信

ささいなことに幸せを。

人生が動き出してきた。

今日、仕事で久しぶりに鬼ごっこをやって体力を使った。あ〜普段走ってないなぁと気づかされ、今程よい足の疲労だ。夕飯は父親が作ったモツ煮込みとばっけ豆腐。美味しかった。夜のまったりタイムを過ごす前にブログを書きたいと思う。

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北上市にもう一度住み始めて1年半ぐらいか

北上市に長くいる錯覚を覚える。錯覚ではない。いるのだ。色々あって過去には北上市に住みたくないと思いながら住んでいたこともあった。しかし、現在は自分の意思で住んでいる。今思えば住みたくないと思いながら、その土地に住むことほど悪いことはないと思う。常になんでこの街にいなきゃいけないんだと思い、日常をないがしろにしてしまうんだ。そんな過去もあった。今、私の気持ちは安定している。その安定によって、色々良い方向に動いている気がする。家族関係、仕事関係、音楽関係など少しずつ付き合い方がわかってきた。気がする。

 

家を出てけと言われる前に。

現在の私の暮らしは両親の力によって成り立っている。居心地いい衣食住があるのも自分の力ではない。しかし、今後、親との付き合いの方向転換が起こり「家を出ていけ」と言われた場合、私は生きていけるのだろうか。まっとうな生き方ができるのだろうか。父親には「生活力はあるのか?」「経済力はあるのか?」と言われ、その度に自分が生きて行くために収入を得るのはなんて大変なんだ、家賃、食費などをまかなえる力はどうやれば身につくのか謎だ。正社員で働けばいいのだろうか。労働時間を増やせばいいのだろうか。しかし、雇われて働くのを苦手とする私にその選択肢はあまりない。どうにかして、自分の生き方が、生き様が、お金に変わる術を身につけるべきだろうか。お金は信用ともいう。信用される人間になるのが第一なのだろうか。

 

愛着を持て。

北上市での暮らしが落ち着いてきた。よく行く店も増えてきた。何度も通ううちに、そこで働く人の顔も覚えてきた。それがこの度の北上暮らしの一番の収穫かもしれない。自分が行くところにいる人の顔を覚える。それだけで、北上市で暮らしているという実感が増す。

 

人生が動き出してきた(終わりに)

タイトルにしたのに、それに触れていなかった。人生が動き出してきた。そんなフレーズが浮かんできた。この数年間、比べなくていいのに、周りの気になる人の人生と自分の人生を比べていた。その度に、私の人生は止まっている、もしくは後退しているような焦りを感じていた。どんどん突き進んで行くように見える人が輝きすぎて、眩しくて直視できなかった。しかし、最近では、自分は自分なのだなと思い直した。周りと比較するのではなく、自分に自分が納得できるか。外の世界より、中の世界をまず好きになろう。愛着を持とう。そう思い始めてから、少し人生が進み出した気がする。そう思えてから、周りの物事を余裕持って見れるようになった気がする。今日もどこかで暮らしている人たちと、この先の人生でまた巡り会えたらどんなに嬉しいだろうか。その時は「俺はさぁー、こんなことやあんなことをしてたんだよ!でも、大変なこともあったけど、今も生きてるしこれからもなんとかなるかなと思ってるよ!」みたいな話をしたいと思う。そんな夢を持ち、今日も北上市で暮らします。では、また。