中野通信

ささいなことに幸せを。

幼児には人生を心配されないので楽だ。

こんにちは。中野寛人です。外は、うっすら雪が降っております。いつまで雪が降るのですか。誰か教えてください。まぁ、そんなことを言っても仕方ないのでブログ更新です。

f:id:nakahiro28:20170324100549j:image

幼児には人生を心配されないので楽だ。

幼稚園児の甥っ子と過ごす日々を送っている。私には4人の甥っ子がいる。みんな2012年以降に生まれた男の子だ。この子たちと過ごす時間が、私の人生に加わって久しい。この子たちと過ごすことで、ある心境に至った。それは、大人たちと過ごす時間では味わえない何かだった。それはなんだろう。私は、病気をしたあたりから、周りの人たちに心配されることが増えた。「大丈夫か?」「これからどうする?」「仕事はどうする?」「収入はどうする?」「生活していけるのか?」そんな言葉をかけられ、始めは心配してくれてありがとうと思っていた。しかし、それが続くと、それしか会話の話題はないのかと疲弊していった。心配は時に、重荷になる気がする。そんなことより、くだらない話をしたり、なんでもない話をしたかった。そうこうしてる数年間を過ごすうちに、甥っ子たちは赤ちゃんから少しずつ成長していった。そして話ができるようになった。そうすると、どうだろう。その会話ややりとりは、心配というキーワードからは、かけ離れ、なんだかその過ごす時間が心地よいものに思えた。楽しいなぁ、楽だなぁと思った。

 

終わりに。

KinKi Kids風に言うならば「心配されるよりも、心配したい、マジで」という言葉が浮かんだ。心配は時に負担になる。心配という行為をもう一度解釈し直したいと思った。私は心配に疲れた。逆に、自分が心配する側になったら、心配される側は疲れるのだろうか。なら、幼児と過ごす時のような、あの透明感のある絆を、大人同士でもできないだろうか?対等?平等?上下のない関係?何が望ましいのだろうか。そんなことを考えている金曜の午前中だった。また。