中野通信

ささいなことに幸せを。

浄化されない歌がある。

こんばんは。中野寛人です。今日は一日ずっと自由を満喫していたら、ある考えに辿り着きました。それを忘れないように、ブログに書きたいと思います。始まり始まり。

 

浄化された歌と、まだ浄化されない歌がある。

あの何を言っているかというと、自分の作った歌のことです。今まで何曲も曲を作って、たくさん披露した歌もあれば、全然陽の目を浴びていない歌もあります。その中で、何かしら聴いてくれた方が、何かしらの反応をしてくれて、感想をくれたり、共感してもらえた歌って浄化されるんですよね。つまり満足するっていうか、スッキリするっていうか。その歌の役目が終わるとも言えます。それに比べ、作ったもののまだ評価をもらえていない歌っていうのは、まだ僕の気持ちまで浄化されていないのですよね。なんか心に突っかかるものがあるような、もどかしさがあることに気づきました。

かなり浄化されている歌。

例えば「チャレンジ」。この歌は、かなり浄化されました。たくさんの陽の目を浴びて、自分の気持ちを分かってもらえたなぁって、この歌を作ってよかったなぁって思えます。他にも「田舎者」。この歌を母親や、親類のおばさんに聞かせたら、泣いてくれたんですよね。その時点で、僕は満足しました。

まだ浄化されていない歌がある。(終わりに)

そんな中、浄化されない歌の存在に僕は気づいてしまった。それは2009年に作った「君を好き」という歌です。この歌がYouTubeにあるのですが、この歌を聴くたびに、なんだか心がざわつく。きっと誰かとこの気持ちを共有したいんだと思います。何なんだろう。この気持ちは。誰かわかってくれるかな。そんなことを思った休日の夜だった。

 

後で、誰かとこの気持ちを分かち合いたいです。

 

では、また。