中野通信

ささいなことに幸せを。

みんな死んだら、また再会しよう!

葬式から一夜明けました。もとの日常が始まり、仕事にも行きました。でも、まだまだフワフワしています。心にケジメをつけるために、ブログを書こうと思う。式の中で、正確には式が終わった後の少し人数が少なくなった時に、お別れの言葉をみんなの前で話しました。その文章をここに載せます。こんなことを言いました。読んでくれたら嬉しいです。

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「別れの言葉」(みんな死んだら、また再会しよう!)

孫代表 なかのひろと

私はテルさんの孫で、1番最後に生まれた孫です。
テルさん、今までありがとう!!
テルさんからいっぱいの愛をもらいました!
テルさんからは、一回も怒られたことがないし、いつも優しくて可愛いばあちゃんでした。
いとこみんなで、お盆や正月を過ごした子供時代は僕の原風景で、良い思い出です。

ここで何個かエピソードを話します。良い話だけじゃないのですがすいません。

小学生ぐらいのまだ小さい時、テルさんと2人で東北本線の電車に乗って仙台に行ったことがありました。おばちゃんのお見舞いだったかな?その時のことが忘れられなくて。電車の席に座ったら、たまたま近くに酔っ払いの怖いじいさんが居たんだよなぁ。そのじいさんはイライラしてて、からんできた。そしてばあちゃんにツバをかけたんだよな。その時、俺は怖くなっちゃって、何もできなくて、情けなくて、ばあちゃんを守ってあげられなかった自分が情けなかった。席をずらして、その酔っ払いから離れた後、ばあちゃんは、何事もなかったように明るく振舞ってくれたけど、おれは悲しかったんだよな。その出来事を忘れられないんだよな。ばあちゃんは、あの時のこと覚えているかなぁ。おれを守ってくれてありがとう。おれは、ばあちゃんを守れなくてごめんなさい。後悔してます。


もう1つ別の話をさせてください。

 

18歳の時です。ミュージシャンになりたいと決意した私は、ばあちゃんの所を訪ねて「ミュージシャンになりたい!ばあちゃんならわかってくれるよな?でもまだみんなに言わないでくれ、内緒にしてくれ!」って言いに行ったんだよな。ばあちゃんは、何でも受け止めてくれると思ったし、俺のやることに反対しない人だから、打ち明けやすかったんだ。だから言いました。そこまでは、よかったんだけど、1週間も経たない内に、母ちゃんとか姉ちゃんに情報が漏れたよな。内緒にしてって言ったのに、ばあちゃんは、言っちゃうタイプだったんだな!でもおれは、恨みもしてないよ!ばあちゃんらしいなぁとも思ったし。まぁ、ばあちゃんのおかげで、この世に内緒なんて存在しないって気付かされたよ!ありがとう。今も音楽活動続けて、まだまだ音楽で生計を立てられてないけど、楽しく歌ってるよ!これからも続けるね!

 

最後です。


東京に暮らしていたんだけど、家賃が払えなくなって岩手に帰ってきた僕は、数年前から、ばあちゃん、母ちゃん、父ちゃんとの4人暮らしを始めました。でも、今思うと、ばあちゃんの老いていく姿をこんなに近くで、一緒に暮らしながら、見れたのは良かったと思ってるんです。だんだん歩けなくなって、できないことが増えて、喋れなくなって、寝たきりになって、酸素の機械がないと呼吸できなくってっていう老いていく姿を、こんな近くで見れて良かったと思っています。僕はほとんど何もしてないけど、娘である母ちゃんが介護を愛を込めてやってる姿をずっと見てました。母ちゃんも言ってたけど、90歳まで長生きして、介護もやりきった!!だから、悲しい別れとは違うし、後悔の別れとも違うし、そばにいれてよかったです。僕自身の生活する力がなかったのが、逆に一緒にいる時間を増やしてくれました!!老いていく、死に向かう姿を見たことによって、僕は、どんなに恥をかいても、失敗しても、精一杯自分らしい人生を、生きてやろう、と思わされました。ばあちゃんの生き方を見れて良かったです!!

 

天国で、えつろうさんや、息子のけんえつさんと、再会して、楽しく暮らしてください!!そのうち、みんな死んだら、またみんなで再会しましょう!それまで精一杯生きます!

 

本当に90年間ありがとうございました!

孫代表 なかのひろと

 

終わりに。

何度も言ってるけど、フワフワしているぜ。ばあちゃんがいなくなった生活は、どんな生活になるんだろう。4人暮らしから3人暮らしになる。どうなるんだろう。ケジメをつけたいけど、無理はしない。なるように、自分の身を任せようと思う。何度も言ってるけど、自分らしい人生を生きよう!生きるぞ、中野寛人!

 

読んでくれてありがとうございました!